会社案内
ごあいさつ
Message from the President.
家造りにかける思い〜AIの時代だからこそ重要なのは『職人と心』〜
社長になったのは私が31歳の時で東日本大震災があった年。
私は前会長の齋藤重利(2代目社長)に育てられました。
高校を卒業した時の平成10年3月から齋藤家に6年間住み込みをし面倒を見ていただきながら、専門の学校にも通い経営、設計、監督、大工などの職人の仕事を勤めて参りました
2代目の前社長の齋藤は職人上がりのとても厳しい人
私は毎日の様に指導を受けました。目利きがとても良く・眼光が鋭く、現場の巡回に来ては不備があると、瞬時に指示が入りました。なんとも言葉では表せない緊張感、向上意識の高い現場にになると実感しました。それだけの人ですから50年間にも渡る業績を残せたのだと思います。しかも80歳になる年まで社長を勤めました。仕事をはなれるととても優しく面倒見が良く『親分』が似合うかもしれません。
『お客さんの気持ちになって考えろ』『一ヶ所でも良いから見せ場を造るんだ』よく前社長は言っていました。
それは一生の買い物、何度も建てられない家をお客様が建てられるのだから、使い勝手など親身にならないといけない。しっかり想像して少しでも喜んでいただけることをプロなんだから提案できるようしなければならない。またいくらでもお金を掛けられるわけではない。予算が無いからと言って安く建てるのではなく、その中でも大工の手で見せ場や飾りを施して喜んで頂けるよう一ヶ所でも良いからこだわりを形にする。粋ということを学ばせて頂いたんではないでしょうか。
在来工法と呼ばれる伝統工法での施工も今も続けていますが、今ではプレカットと呼ばれる工場加工と機械を併用して材を加工するのが当たり前の時代に、『切り込みぐらい出来ない大工ではだめだ』と墨付け・手で切り込み、継ぎ手、仕口と呼ばれる伝統の工法も学んだことがありました。これからの時代に取って大きな経験。一部彫り込み違いがありましたが、ベテラン大工が簡単に修正を施し新人をカバー。その時味わった素晴らしい連携、ベテラン大工の頼もしさに感動したのを覚えております。心技ともに技術伝承をしたいと強く願っています。
私が社長に就任した時、経営については準備不足で、とにかく仕事を依頼していただけるように何が必要か思案しました。出会いを大切にして、コツコツと地道に取り組みをしていく内に仕事が増えたと思います。自分の力ではなく『お陰様』という事、皆様に支えられ続けられていることに気づきました。本当に感謝の心で一杯であります。
商品は進化し続けています、断熱が違います。気密が違います。サッシが違います。光熱費がかかりません。コストが安いです。行き着く先、ゴールはどこでしょうか。進化は当たり前、同じ物を本当に建てたならそれほど各社差は無くなると考えています。ビフォーアフターでもありますが設計者ばかりが取り上げられている。建てるのは職人ですから共にパートナーとして職人を取り上げて欲しいと考えます。職人がこれ以上ない大きな差別化に繋がると考えております。先代の思い、技術を受け継ぎ、ベテランの職人とこれからの日本の職人を担う若手が気持ちを合わせて考え、新しい時代を築きたいと考えます。
会社の仕事にたいする思い 『創るこころと住むこころが通う家』
『創る心を忘れない』これは私の信念です。これからAIの時代だからこそ大切にしたい。ハウスメーカーは『住宅は販売』。 責任を重んじるからこそ私は『住宅は創る』 責任を重んじるからこそ『弊社の大工』でなければいけない。弊社の大工で施工したからこそ『ケアの責任』を重んじる。どういうわけか子供が休日に高熱になる場合があります。そうした時、看てもらえるお医者さんにとても感謝の気持ちがあります。それは困ったときに安心できるという事。斉藤建設も困ったときの『家のお医者さん』になれるよう思います。
住宅造りに向けてアドバイスがあります。お子さんが多くいらっしゃった場合で予算により各部屋が確保できないご相談もあります。私の経験からお子さんの成長にとってやや不便に感じるところがあるかもしれませんが私は意欲が持てるように育つと考えます。『お兄ちゃん又はお姉ちゃんは一人の部屋でいいなぁ』などご経験はありませんか?上の子から巣立っていくうちに自分の部屋になる。お子さんはその中でもしっかり成長していつかは大きな家に住みたいとか、意欲をもてる環境も大切と考えます。不満足さもプラスにできる考え方もあると思っています。大切なのは親、兄弟、姉妹、おじいちゃん、おばあちゃん、互いに助け合える環境で育つ住まい。そんなご提案をできればと思います。今の時代だからこそと考えます。思想により逆転の発想もプロの目線からお話ししております。それは失敗して欲しくないからです。
初代の齋藤春松は私の曾祖父になります。
春松は船大工。腕も確かで宮大工も手掛ける職人
私が生まれて2週間後に亡くなったそうです。
亡くなった時、生まれたばかりの私を抱いて会いに行ったと聞いております。
−斉藤建設は私の使命なのかもしれません−
子供を抱いた時感じました
『この子に喜ばれる仕事を残したい』
会社概要
overview
年月 | 内容 |
---|---|
会社のモットー | ・創るこころと住むこころが通う家 ・あふれる気持、つくる気持、ひとつひとつていねいに |
商号 | 株式会社 斉藤建設 |
代表取締役 | 佐々木 裕哉 |
住所 | 【斉藤建設】 〒099-2323 北海道網走郡大空町女満別西3条1丁目1番10号 |
TEL/FAX | 【斉藤建設】TEL.0152-74-2224・FAX.0152-74-3723 |
従業員数 | 10名 |
定休日 | 土曜日・日曜日(各週) |
業種 | ・建築工事 ・大工工事 ・とび・土工事 ・土木工事 |
主な施工 | ・公共事業 ・住宅施工全般 ・リフォーム ・工場加工 ・設計 |
資本金 | 4000万円 |
許可・資格・保証 | ・特定建設業 ・建設業許可番号(特-24)網第00469号 ・2級建築設計事務所(網)第767号 ・1級施工管理技士 ・株式会社日本住宅保証検査機構(略称JIO)届出事業者 ・株式会社21世紀住宅研究所 スーパーストロング構造体加盟店 ・ジャパンホームシールド 地盤保障システム登録 ・スーパーウォール認定 |
主要取引先 | ・北海道銀行網走支店 ・北洋銀行美幌支店 ・網走信用金庫女満別支店 ・JA女満別 ・釧路信用組合網走支店 |
沿革
history
年月 | 内容 |
---|---|
昭和36年以前 | 齋藤春松、船大工、宮大工として仕事を手掛ける。 |
昭和36年11月 | 創業。斉藤建設工務店として齋藤重利 経営。 |
昭和51年 | (株)斉藤建設設立。代表取締役に齋藤重利。 |
昭和63年~平成12年2月 | 齋藤重利、女満別建設業協会 会長として在籍。 |
平成9年 | LIXIL加盟店(当時トステム)TH友の会会員) SW工法(スーパーウォール工法)導入 |
平成23年6月 | 代表取締役会長 齋藤重利 就任 代表取締役社長 佐々木裕哉 就任。 |
平成26年6月 | 代表取締役会長 齋藤重利 退任。 代表取締役社長 佐々木裕哉 継続。 |
平成27年2月 | 大手ユニバーサルホームの加盟店(北見オホーツクエリア) 女満別店オーナー:佐々木 裕哉 |
平成27年10月 | ユニバーサルホーム女満別店モデルハウスOPEN |
令和6年9月30日 | ユニバーサルホーム退会 |
スタッフ紹介
staff
- 【名前】佐々木 裕哉
- 【愛称】ゆうや 又は ゆう
- 【職種】現 3代目社長(代表取締役)営業・大工
- 【好物】スルメ
- 【特徴】元気
- 【年齢】40代
- 【愛称】京ちゃん
- 【職種】棟梁大工
- 【好物】吉幾三の歌
- 【特徴】若く見える
- 【年齢】70代
- 【愛称】わくさん、かずちゃん
- 【職種】棟梁大工
- 【好物】晩酌のビール
- 【特徴】真面目、実直
- 【年齢】60代
- 【愛称】ふみ
- 【職種】重機オペレーター、土木、大工
- 【好物】焼き肉
- 【特徴】ムードメーカー
- 【年齢】60代
- 【名前】小野寺 成男
- 【愛称】デラちゃん
- 【職種】大工
- 【好物】鶏肉なら何でも!
- 【特徴】吹奏楽と自衛隊が好き
- 【年齢】60代
- 【名前】大場 一樹
- 【愛称】一ちゃん(かずちゃん)
- 【職種】設計・現場監督・大工 専務
- 【好物】肉
- 【特徴】高校時代卓球好きの空手部
- 【年齢】40代
- 【名前】春木 拳太
- 【愛称】拳太
- 【職種】大工・常務
- 【好物】スイーツ
- 【特徴】仮面ライダー好き
- 【年齢】20代
- 【名前】奥野 直治
- 【職種】現場密着型営業
- 【好物】甘いもの
- 【特徴】面白いこと大好き
- 【年齢】40代
- 【名前】野村 加代子
- 【愛称】かよちゃん
- 【職種】事務
- 【特徴】料理が得意
- 【必殺技】鬼の電卓